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或る楽器と楽曲についての言葉 [レビュー]

ずいぶんと前ですが、私が初めて購入した「東方アレンジCD」についてレビューのようなものを書いたことがあります。
そのテキストは当時主流だったサービスであるmixiにて公開しました。
近ごろ東方アレンジCDについて文書的なアプローチを見かけるようになったことや、久しぶりにmixiにログインして懐かしかったことなどの理由から当時の文書をこのブログに引っ張り出すことにしました。

ここで紹介した2作品は弘世さんのwebサイトにて、本人の解説付きで公開されていますので是非”オリジナル”に触れていただきたいと思います。
弘世さんのサイトはこちら。
http://altneuland.net/

最後に、この文書がきっかけで作者の弘世さんと知り合うことが出来、今も交流が続いていることに感謝します。
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帰るべき城
2005年05月27日04:12

まずこの作品を手に取った経緯について。
某同人ショップにふらりと入ると目に留まったのが白を主体としたセンスのいいジャケット。
おー、これはたしか「つみきのもり6」で裏表紙描いていた人では、と思い手に取って裏を見て「ピアノ:ベーゼンドルファー290」という文字を見て思わず唸る。
おおぅ、インペリアルかよ!
即、購入となったこの作品はそれはもう、今までの同人CDの範疇を完全に超えた内容で、久々に聴いていて心底楽しかった。
で、居ても立ってもいれず、不躾にも作者である弘世さんにレビュ−掲載の許可をもらうメールを出してしまった次第。
そんな感じで、以下にピアノの知識がほとんど無いくせに書いてしまったレビューというよりむしろ感想。

01:月食撥条人形劇
いきなり駆け上がるように飛び出てくる打音と響音にまず驚かされた。
音を次々に重ね上げ重ね上げ、ふ、とダンパーを効かせて止め、また音圧がくる。
これを開始10秒ちょっとで一気に終える。
ある意味、この作品の方向性を現しているように思えた。

02:モロク変奏曲 第一楽章「蜂起」
メインに割と狭い音域の連打で時折上に跳ねるように音が進む。
高域でやや輪郭に物足りなさを感じたのはチューニングのせいか、スタインウェイに慣れすぎた私の耳のせいか。
この曲でやはり特筆すべきは中盤に聞こえる強烈な低音だろう。
指を鍵盤を叩き付けるのではなくてハンマーが弦を叩く時に最大になるような感じの粘り強い音と、キーンと共鳴する音が使用されているピアノの強い個性を感じることができた。
なんとなく、終盤の連打において音の隙間に女性のコーラスが入っているように聞こえてしまった。

03:The End of Theocratic Era
開始直後のリバーブのインパルス音はご愛嬌か。
乾燥した、位相のそろったオルガンの音が聴きやすい。
クラシカルな教会で聞くような荘厳な楽曲かと思ったがむしろライブ等の広い場所で聞いた方が気持ちいい感じがした。
パイプオルガンではなくてハモンド、ぐりぐりとグリスとかしだしたらもうノリはナイアシンとか、そんな感じ。

04:永遠亭の主題によるカプリス
小曲っぽい明るい跳ねるような音が並ぶ。
前半の曲のように重厚な音をの重なりだけではないと言いたげに、サスティンを伸ばさずアタック感を前面に押し出したような音を選んで弾いているかのように聞こえる。
サスティンが長い音では判断しづらいアタックの位相のそろいがとてもよく聞き取れる。

05:上海紅茶館
飛び抜けたピアニッシモもフォルティッシモもないが後半にかけて徐々に勢いを増してゆく音は聴いていてとても心地よい。
この作品全体に共通して言えることだけど、定位がかなり極端に動くのでヘッドホンで聴いた場合音が左右に飛び交うことになって、慣れないうちは戸惑ってしまう。
スピーカで聴いたときはいい感じに混ざって、さらに心地よくなるのでむしろ歓迎。

06:騒園哀歌
ペダルの使い方の見本のような緩急多彩な音の壁が動いてゆく。
よく音を飽和させなかったなぁ、とそちらの方向に関心が行ってしまうほどの重ねっぷり。
後半に一カ所ある一気に音を抜く所で感じる鼓膜が追いつかない感覚は久しぶりに感じたので、とても印象に残った。

07:亡き嬢にささぐトッカータ
他の曲とやや空気感が違うように感じた。
具体的に書くと常に左に定位している高域が右に跳ね飛ぶようなリバーブ感をよく感じたんだけど、他の曲を聴いても似たような感じなのでおそらく音の重ね方による違いだと思う。
中盤のグリッサンドの前後とかが特にその感覚をよく感じた。

08:ネクロファンタジア幻想曲
打音が作品中最もよく奏でられている曲。
コツコツとした打音は押下される鍵盤とリンクにより動く木片、ハンマーとフェルトが見えるよう。

09:月衝炎杖
なんというのか、ピアノが弦楽器であるということを強く感じた。
昔、音響について勉強していた頃「ピアノってのはあらゆる楽器の要素が入っていて、鍵盤楽器に見えるが打楽器でも弦楽器でもある」と教えてもらったような気が....。
楽曲自体は安定したメロディの上に飛び散るように音が生まれていく。
ラストの方に左チャネルが断音するのはご愛嬌だろう。

全体的にあまり普段聴かないであろうピアノの音であることをのぞいても、十分楽しめる作品だった。
欲を言えばホールで聴くピアノという感じで聴くと違和感を感じるほどの定位感なので、ホールのそれを期待するとやや肩すかし気味になりそう。
逆にインペリアルが目の前でっ!と思って聴くとこれ以上の贅沢はないだろう。
また、本作品には読み応えがある解説があり、コレをふまえての感想を書こう....と思ってあまりの自分の知識の無さに挫折したのでPA屋的な耳と感覚での感想を書いた次第。
できれば、本当にできることならば、解説をふまえた感想を書いてみたいものである。
最後に
レビューの許可をいただいた弘世さんにこの場を借りて深く感謝いたします。
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届け、我らの頭上に在りし水なき海へ
2006年10月06日08:16

本作の作者である弘世氏には、許諾を得てからずいぶんと時間が空いてしまった事をまずお詫びし、以下に感想を述べることにする。

Track1/静かの海:鮮やかな記憶
全体を通して、音の心地よい分散が楽しめる。
弘世氏の言葉を借りるなら序盤の弱音アルベルティバスがとても効果的に歌っているからだろう。
ここで気になったのが、伴奏と主旋律と言う言葉だ。伴奏とは文字通り"ともに奏でるもの"であるが"とも"は"供"ではないし"伴"ですらないように聴こえる。
また、主旋律は文字通り"おもに奏でる"ものであろうが"主"ではなくむしろ"傍"であるときすらある。
原曲のさらに原曲は(様々な解釈で)有名な童謡の"かごめかごめ"であるが、その曲自体は非常に狭い音域で完結している曲である。
しかしこの"鮮やかな記憶"は序盤の左手泣かせの低音鍵から耳の奥に心地よい刺激を与える高音鍵まで見事に分散している。
この分散は意識して追いかけていかないと不思議な感覚にとらわれ、いつしか伴奏が主に、主旋律が伴奏に聴こえてくる。
後ろの正面とは左手を伴奏、右手を主旋律と聴こえる音が「いついつ出やる」ことを言っているのであろうか。


Track2/蛇の海:ルナリエン・ラプソディ
一音一音の粒それぞれの消え行く色が全曲を通してもっとも見えやすいと言う印象を持ったことは、蛇を称する曲名と対照的である。
先の曲からさらにすすみ、もはや主旋律と言う言葉が意味をなさなくなってきた音の動きにはブックレットでは"旋律線"とある。
その"線"も1本ではなく複数有り、またそれぞれのベクトルは等しくなく複数あるベクトルの全内積をとることが聴き手に求められる様な音である。
またブックレットにはフレーズの交代を蛇と記してあるが私には鍵盤を打つ腕の動きを見たときに蛇が"視得る"様な気がした。


Track3/風の大洋:渾天儀
原曲に比較的忠実な音が並んでゆく。
インペリアルの深い懐で散るきらびやかな高音はこの曲が一番堪能できる。
省くアレンジをしたという弘世氏ははたして六合儀/三辰儀/四遊儀のどれを"観て"いるのだろうか。
永琳が地上より"観て"いる月はプラネタリウムという渾天儀の中の月だろうか。
それとも測量器という渾天儀より見上げる月だろうか。
そもそも"観て"いるのは月なのだろうか。


Track4/雨の海:月齢14.9
//ピアノは、ソリトンなんだ。
---意味が分かりません
//他の楽器は皆、発音体がその名前に冠されている。打楽器しかり、弦楽器しかり。ではピアノは何楽器だと思う
---鍵盤楽器では
//うん。鍵盤はあるね。でも鍵盤が音を出しているのかな。
---弦楽器、と言えば良いのですか
//弦楽器は擦弦させることが主な発音構造だけど、ピアノには擦弦機構はあるかい。ピチカート奏法は除外だよ。
---ピアノ線はフェルトのハンマーによって振動を与えられます。発音体が振動体であるならば打楽器になりますね。
//打楽器はそれ自体では単一個体なんだよね。共鳴しない。
---複数の振動体が互いに違うモードで自己振動することが共振ですね
//そう、モードが違う振動体が無いと共振ではないね。それにそもそもピアノは一音に弦が複数張ってある。
---ではやはり弦楽器ですか
//響板を見ながら考えるからそこに捕われる。共振を一番利用しているのは管楽器だろう。
---ではピアノは管楽器であると
//管楽器は空気が振動するけれど振動体は単一だし、共鳴と共振の区別も曖昧になってきている。
---やはり意味が分かりません。
//無限に解が存在する。
---.....。
//その"もの"をあらわす手段が無限に"存る"。
---あぁ
//あらゆる物との関連性が"否定されていない"。
---だから

Soliton

変調子のこの曲はどこか掴みどころ無く鍵盤に与えられた力はペダルによるリリースの長い音が広く空間と共鳴している。


Track5/雲の海:ピアノソナタ「連禱」第一楽章 −夢に楽土求めたり
連禱...連祷とはカトリック教会で言うところのリタニア。
司会者と会衆が交互にかわす連続の祈りは氏のWebサイトからダウンロードできる譜面を苦労して音と一致させると見えてきたような気がする。
39小節目からが耳で聴く分には最も栄える音になるが組曲の名前を鑑みれば11小節目からが主であろう。
私はピアノに全く縁がない人間であるし、そもそも譜面を読む能力も無い。
しかしながらこのような聴覚以外で音楽を楽しめる手段を提供してもらえる事は、とてもありがたい。


Track6/晴れの海:ピアノソナタ「連禱」第二楽章 −届け、我らの頭上に在りし水なき海へ
レファソと上昇するフレーズが蓬莱人を象徴する音塊であることは間違いないだろう。
蓬莱とは言いながら私はどこか大陸的な響きを感じていた。
この音塊を鍵盤を前にしばらく考えてみてふ、と半音を上げてみるとそこには(ド#)/レ#/ファ#/ソ#/(ラ#)という中華音階が見えてきたのは考え過ぎだろうか。
音塊という言葉ではこの曲は全楽曲中、最もダイナミックレンジを楽しめる曲である。
ペダルがリリースを伸ばす役目以外に音を重ねる、音を絞める役を担っている事を良く聴いてとれる事が出来る。
前作「帰るべき城」では耳が追いつかないと表現した、飽和気味であったペダルを踏んでの連打も、緩急を付けて調整される音は確実に前作より完成度が上がっている。


Track7/終曲:ピアノソナタ「連禱」第三楽章 −ありあけの白き爪痕
Track1に通ずる分散した音が徐々にまとまりまた散ってゆく楽曲は最終曲にふさわしい。
この曲は楽曲の完成度もさることながら、Track6に並んでダイナミックレンジの変化と音の粒が空間を動くさまを楽しむ事の出来る曲である。
弘世氏のピアノの音はセパレーションが一般的なピアノ音源と逆である、と言う特徴がある。
指の動きが見える様な、と言う表現はよく使われるが氏の音に関してはそのセパレーションの影響もあるだろうが指は見えづらく、あくまで客席から演奏風景を見ている感じが強い。
ただし客席と言っても大規模なコンサートホールでの演奏会ではなく、小規模な教室程度の空間を飛び回る音を耳で捕まえていく感覚が多いのだが、この曲は特にその傾向が強く感じられ、氏の演奏するピアノの直近で....さらに言うならば私はピアノ胴にもたれかかり無数のピアノ線越しにハンマーの動き聴いて、音を見ている感覚を感じた。
ピアノには響板という部位があり、響きを司る。レコーディングではこの響きを如何に扱うかがよい音で録る分かれ目になる事が多いのだが、あるエンジニアから響板を鏡板と考えろ、と言われた事がある。
鏡と言う文字を使うのならむしろ屋根の部分は音を反射する事が目的であるからより適当だと思ったのだが、弦の音を受けて副次的に鳴る部位はある意味で鏡と言えなくもない。
一方、月は銀鏡と言われる。月を描いたと言う本曲に、弘世氏は弦越しの鏡板に何を見たのだろうか。


まとめとして
強音はあくまで強く弱音は弱く、を確実に音にしていた前作に比べ今作はダイナミックレンジが狭く感じたのだが、本作をもとに聞き直せば輪郭を目立たなくしただけで、決してダイナミックレンジが狭くなったのではない事が分かる。
これは氏が自身が演奏する架空の会場をより強く描くようになってきたからではないか、と予想する。
さらに描き方の研究を続けている、と言う弘世氏の次回作がたのしみである。

 最後に、約束していた予定から1ヶ月以上も遅れて文章を載せる事に再度、深く詫び、ジャケット掲載を快諾していただいた本作「届け、我らの頭上に在りし水なき海へ」を世に出した弘世氏に感謝したい。
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